フジロックでHを楽しんだ女性のつぶやきが炎上

フジロックフェスティバルで3日間で5人とSEXしたとTwitterに書いた女性が炎上した。彼女宛に非難のクソリプが大量に飛んでいったようだ。退廃主義的にはこれまで書いてきたことのまとめ的な出来事でもあると思うのでとりあげてみたい。

えみ on Twitter

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退廃主義のムーブメントだった60年代のヒッピー文化

退廃主義的にはまずフェスという時点でもっと多くの人が楽しむべきだと考える。何しろ野外フェスと言えば伝説のウッドストックに代表されるヒッピー文化の象徴だ。ヒッピー文化はベトナム戦争に対する反戦運動の盛り上がりとともにLOVE&PEACEのキャッチフレーズとともに,若者達に生まれたカウンターカルチャーだ。既存の価値観を否定し,ドラッグとフリーセックスとロックを愛した。こうした流れを組むレイブイベントなどでは今でもドラッグパーティ化しているものもあるようだ。日本のフェスはこうした流れとは切り離されとても健全な世界として盛り上がったため,彼女の行動に違和感を覚える人も多いのかも知れない。

しかし以前ハレとケのところでも語ったように,そもそも日本人にとってのフェスはウッドストックよりもはるか昔から祭りとして存在していた。そしてそこではドラッグなどに頼らなくても乱交もありの非日常的な男女のトランス状態を生み出す仕掛けでもあったのだ。彼女が言っているとおり,フェスティバルに楽しむことの方が文化であり,近年の道徳感の方が不健全だ。

ハレとケ 青森に春生まれは何故多いのか - LAWRENCE(ロレンス) - Motorcycle x Cars + α = Your Life.

ハレとケ、とは??
かの日本を代表する民俗学者柳田國男は日本の大衆の世界観に「ハレとケ」という概念を提唱した。
わかりやすく言えばハレは非日常であり,ケは日常である。日常の単調な農作業をケとすれば,祭りは非日常。無礼講という言葉があるがハレの時にはケのルールも適用外として盛り上がる。ハレがあるからケの単調な毎日も耐えられると言えるかも知れない。
8月のねぶた祭りでエロスを放出??
青森の出生月のデータを見ると面白い傾向がある。4月,5 月が全国平均と比べて出生数が多いのだ。
参考「 青森県で4月の出生が多いのは、ねぶた&ねぷた影響? 」
その理由として言われているのは所謂「ねぶたベビー」8月のねぶた祭りで盛り上がった男女の間に生まれる子供という説だ。ねぶたの高揚感は、普段大人しく真面目な女子でも、自分のもっている本能的なエロスを放出するのだろう。
この時だけはそれを放出しても許されるという空気感を街全体が生み出す。ねぶたで日常から切り離された少女達が処女を喪失するのももねぶたの夜が多いとも言われている。
その時だけはエロスを出すことが許される。そんな雰囲気を社会全体が創り出すことは大事なことなのかも知れない。現在の都市における男女は、ある意味毎日日常である「ケ」の状態のままだ。非日常は自分で創り出さなければいけない。
しかし,親や教育で真面目に生きることを厳命された若者が自分から非日常を生み出すことは難しい時代になっている。真面目な女子が処女を喪失するには、とてつもないエネルギーが必要だろう。
エロスを否定しては祭りが成立しない場合もある
それには相当な非日常感が必要だ。そういう意味では祭りというのは、社会が非日常を生み出すために創られた社会システムでもあったのだ。しかし,最近は祭りにもグローバルスタンダードが及んでいる。何千年も続いた「裸祭り」のポスターの男の胸毛が「セクハラ」ということで、JRの駅のポスターから撤去されることがかつてあった。非日常にグローバルスタンダードを当てはめることは、文化の喪失だ。退廃主義的には、ダブルスタンダードな社会であることが重要だ。
ハレとケ。それは昼間と夜でもよい。日常の自分とエロスを放出できる夜の自分。このメリハリを生活の中に創り出すことが退廃主義としては大事だ。昼間の真面目に働く自分と夜のマスカレードな自分。退廃主義な男女は是非意識して欲しい。
ケのエネルギーを枯渇させるな
実はハレとケにはもうひとつ「ケガレ」という考え方がある。しかしそれは「汚れ」では無い。「ケ枯れ」は、 日常生活を営むためのケのエネルギーが枯渇することであり,つまり非日常的な活動により充填されるエネルギーのことだ。退廃主義的解釈をすればエロスによって充填されたエネルギーで、ケの日常を生きていくエネルギーを貯めることになる。
エロスの無い日常を過ごしてしまえば、そこには汚れたつまらない自分しか残らない。奔放に生きて汚れてしまうというのは実はキリスト教的な間違った概念だ。ケ枯れないように生きることこそが退廃主義的な生き方だと言えるだろう。

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いい女が本当は楽しんでいることを言えない現状

以前にいい女にはワンナイトラブが本当はたくさんあることを書いたが,今回の件も彼女はたまたまつぶやいてしまっただけでもっともっと多くの行為が実際には行われているはずだ。現在の問題はそうしたリア充と見られてしまう人とそうでない人との二極化が進む中で,ますますリア充に対する攻撃が過激になっている点である。まさにハレとケがあることで普通の男女が日常を越えて退廃的な行為を体験できていた時代から,現在は普通に生きていればずっとケのままであり,何も自分には起きない。あったとしてもごく平凡な恋愛と結婚生活だ。そんな人々が奔放に生きている人を攻撃するのは自分が体験することのできない世界観への強烈なジェラシーでしかない。

そして平凡な世界を守ることのみが自分を納得させることなので乱す人達を激しく非難する。しかしよく考えて欲しい,間違っているのはその平凡な世界の方だ。結果的におきていることは,抑圧された世界が引き起こす性犯罪やストーカー,DV。大量の中年童貞とおばさん処女の群れだ。

こうした現状を変えなくてはいけない。日本男子と大和撫子達は野外フェスや夏祭りでトランス状態になり,非日常的テンションを高め,人間の本能としての欲望を爆発させ男女を求め合う夏にしようではないか。

ワンナイトラブが本当はもっと多い理由 - LAWRENCE(ロレンス) - Motorcycle x Cars + α = Your Life.

涙の数だけ強くなれるという歌があったが,いい女は秘密の数だけ魅力が増していくのも間違い無い。日本においてワンナイトラブは秘密になりがちな出来事のひとつだろう。挿入の行為があるかどうかよりも自分の官能的なところを初めて会った男子に魅せるというのはとても刺激的な秘め事だ。
ガールズトークで話せない内容
それは女性の友人にはなかなか話すことができない。女子同士の場合その場では話が盛り上がったとしても,後で「彼女は遊び人だ,ビッチだ」と話がどんどん大きくなっておもしろおかしくネタにされるリスクはとても大きい。当然親には話すような話題ではないし。退廃主義者でない普通の彼氏の場合は絶対秘密にしたいところだ。
よって事実そのものが表にでにくい。しかし魅力的な女子達としては実は話したい出来事でもある。その時退廃主義者の男性の友人は恰好の話相手となる。よって我々は退廃主義男子はおのずと色々な話を聞くこととなり,いい女がワンナイトラブや官能的な夜を過ごしてしまった秘密を実はたくさん持っていることを知る。
誰もがワンナイ、してる?
いい女がワンナイトラブを楽しんでいる理由は簡単だ。すぐに身体を許すと軽い女に見られるかもなどというSEXを最終兵器のようにもったいぶる必要もいい女の場合は必要無い。そして何よりもたくさんの男に口説かれている女子には男を見る目がある。次の日にLINEでみんなに報告しまくるような男に簡単に許すことは無い。やはり彼女達は秘密を守れる男を選ぶのだ。
退廃主義的な男性紳士達にとってのワンナイトラブの楽しみ方は自分が挿入することをゴールにしてはいけない。女性をどれだけ解放して淫らにしてあげられるかをゴールにすることが肝要だ。そのことが結果的にそうなる確率を当然高める。自分とSEXをしたい男というポジションではなく,私を解放に導いてくれる男というポジションに立つことが何より大事だ。君が好きだとか愛しているなどという甘い言葉も使う必要も無い。
週に三回口説かれる?
むしろそうした軽口な嘘は女性には失礼だし,何より自分が本気で無い時に相手を本気な恋愛にしてしまうことは罪つくりなことだ。相手の長所をひたすら褒めるだけでよい。ここでも嘘をつく必要などない。退廃主義的には10代の少年のようにやりたいだけのSEXはしないわけだから,本当に魅力的な女性に対してだけ攻めることになる。それはおのずと魅力的な女性を口説くことになり,その魅力の長所を褒めることは紛れも無い真実でもある。
東京のいい女がいたら先週3人くらいの男性には何かしら口説かれていると思った方がよい。そのようないい女と二人だけの秘密を作ることは退廃主義な男達にとって至福の時ではないだろうか。

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